シマとの対話

──沖縄の過去と未来について考えるとき、僕はシマと対話する。シマとは、僕にとって老賢者のような存在──  南島詩人・演出家として活躍する平田大一。県内外を縦横無尽に走り抜け、骨太な活動を続ける日々の中で、思索の森を歩き、刻む、真実の言葉たち。  平田大一がつむぐコトノハと、KUWAこと桑村ヒロシの写真がつむぐ、「新・シマとの対話」。2015年4月15日より新連載スタート!(毎月1日と15日に更新予定)

2008年10月15日

第50話『歩み』(南島詩人・平田大一)

第50話『歩み』(南島詩人・平田大一)
このシマが自立したシマになるために
いま一番必要なこととは一体なんだろう。

少し熱っぽい身体、
少し和らいだ右肩の痛みを
遠く感じながら僕は考えた。

ある本土の著名な方は言った。
「沖縄の自立は、所詮、自分達で考えて
 自分達で行動するしかない!」

全く言うとおりだ。
実は、このシマの人は、あまり自分では考えない。
なのに、人の意見にはやたらと批判する。
批評家の集まりのようなシマだ。

以前このシマの知事を体験したことのある
ある識者も言っていた。
「このシマの人は、自分達で(自分達を)批判する風潮がある。」

確かに、自分達で考えて自分達で判断し、
行動することは難しい。
自分のチームでさえもそう感じるのだから
これが、県や国の単位ならなお更だ。
一筋縄ではいかない課題に
向き合うだけ馬鹿なのか?

答えなき、自問自答の夜がまた更ける。
キキッと右の肩が鈍く、小さくまたきしんだ。
眉間にしわが寄った。


ある日。
かかえていた、大きな舞台が終わった。
心身ともに疲弊しきった僕はこっそりと
このシマを一人はなれた。

乗った飛行機のシートで
気になった後ろポケットのカタマリは、
折りたたまれた「小さな手紙」。

ふと思い出した。
昨日、舞台が終了した
見送りのときに
小さな阿麻和利の格好をした
少年からもらったラブレターだ。

破ったノートにびっしりと書かれた
たどたどしい平仮名だらけの
だけどしっかりとした太い鉛筆の文字。


ひらたたいちセンセイ
きょうわゆんぐとぅおどら
せてくれてほんとーに
ありがとう。ぼくわ
あまわりがだいすきです
ちゅーこうせいになったら
あまわりやります。
あまわりのやくをやり
ます。よこぶえもひら
たたいちセンセイみた
いにふきたいです。
ぼうのおどりもだいす
きです。なんだかわか
らんけどぼくわけんゆー
のおしろのとなりの
いえにすみます。どーせだった
らかつれんじょーのち
かくにすみたいです。


手紙を渡すさいの真っ直ぐで
ストレートな少年の
眼差しを思い出す。
僕の胸に小さな「灯火」が点った。

シートに身体を預けて独り言を呟く。
「だから僕は、可能性を見出したいのか...。」


くだんの識者はこうも言った。
このシマが自立するために必要なこと。
「批評家にならず、批判せず、
自分の意見を具体的な行動で示すこと。」
そして、
「好きなことを見つけて、一生懸命やってみること」
「このシマに合っていることを見つけ
 このシマの特殊性をクローズアップすること。」

この識者の座右の銘は「我意外、皆わが師」。
胸に響く言葉だった。


やっぱり
この「歩み」は止められない。

南島詩人/平田大一




Posted by 平田大一(Hirata Daiichi) at 00:00
この記事へのコメント
先人たちの教えは大きなものがあります。
『自分達で考えて
 自分達で行動するしかない!』

人を非難できるほど、力があるのだろうか?
人を非難できるほど、成長できているのだろうか?
人を非難できるほど、大きな人間だろうか?

いろんなことが足りず、周りの人から教えてもらって
それでも未だ大人(大きな人)として認めきれない自分に
いつも問いかけています。


手紙をくれたストレートな少年に感謝します。
小さな阿麻和利に感謝です。
せめて少しずつでも
平田大一さんの痛みが癒えています様に!
Posted by オーケー at 2008年10月15日 01:21