シマとの対話

──沖縄の過去と未来について考えるとき、僕はシマと対話する。シマとは、僕にとって老賢者のような存在──  南島詩人・演出家として活躍する平田大一。県内外を縦横無尽に走り抜け、骨太な活動を続ける日々の中で、思索の森を歩き、刻む、真実の言葉たち。  平田大一がつむぐコトノハと、KUWAこと桑村ヒロシの写真がつむぐ、「新・シマとの対話」。2015年4月15日より新連載スタート!(毎月1日と15日に更新予定)

2008年02月27日

第17話『邂逅の流儀』(南島詩人・平田大一)

第17話『邂逅の流儀』
逢いたいと思っていた人の住む町に出かけ
後ほんの少し、その角を曲がれば
そこにいるかも知れないはずのこの道の途中で
僕は大きく深呼吸。

逢わずに帰ったんだ。

10代の頃からの憧れだった人は
脚本を書き、舞台を作り、演出をし、
受講料無料(ただ)の演劇塾をひらき、北の大地に根ざしていた
「倉本總」という、人。

北海道に移住して何十星霜、
「北の国から」
など、人情味あふれる物語を紡ぐ天才で
憧れていたんだ。

逢いたくて出かけた北海道、富良野の町。
2002年、雪の積もったこの季節だった。

タクシーの運転手が言う。
「あの角を曲がれば、もうそこはセンセイの家さ〜」

僕は、はやる心を抑えつつ、ふと考えた。
「創作する人ならば、こんな出会い方じゃ駄目なんじゃないか?
舞台を作る人ならば、舞台の上で出逢いたい!」
気がついたら運転手さんにストップ!
引き返して!と叫んでいたんだ。

佐渡ヶ島の鼓童や、
ソーラン節の伊藤多喜男さんには
きむたかホールの館長時代に来ていただいて
競演もさせていただいた。

公演前日の夜の歓迎会は手作りのもてなし
勝連の人たちの郷土料理に子ども達の必死の演技!

ゲストの方々は誰もが皆、感激の拍手を送り
子ども達とこのシマを愛してくれた

雅楽士の東儀秀樹さんとの競演は
記憶にまだ新しい昨年のことだ。


「前略 南のシマジマ」

出会い方が大切だ。
モノ作りの人なら、その「モノ」を通して
音づくりの人なら、その「音」を通して
舞台を作りあう僕たちなら、なお更!舞台を介して出逢いたい。

それが、モノをつくる僕の「邂逅の流儀」。

憧れる人と出逢うということは、
自分がそこまで「頑張った」何よりモノ証しなのだから。
対等に出逢えること、それが何よりも大事なことなのだから。
だから僕は、前進し続けなければならないんだ。

そして、今年。
僕は、新しい出逢いの予感に胸が高鳴る。

それにしても、「倉本センセイ」に逢えるのは、
いつになることだろう。

南島詩人 平田大一




Posted by 平田大一(Hirata Daiichi) at 00:00