シマとの対話

──沖縄の過去と未来について考えるとき、僕はシマと対話する。シマとは、僕にとって老賢者のような存在──  南島詩人・演出家として活躍する平田大一。県内外を縦横無尽に走り抜け、骨太な活動を続ける日々の中で、思索の森を歩き、刻む、真実の言葉たち。  平田大一がつむぐコトノハと、KUWAこと桑村ヒロシの写真がつむぐ、「新・シマとの対話」。2015年4月15日より新連載スタート!(毎月1日と15日に更新予定)

2008年01月09日

第10話『詠唱』(南島詩人・平田大一)

第10話『詠唱』
この「島」のどれだけを分かったと言うのダイ?

癒しの島。
常夏の島。
歌と踊りの島「おきなわ」。
勝手に誰かがつけた呼び名に振り回されてはいないか「おきなわ」。

本当の「祭り」は
誰も知らない深い杜の奥
誰もが寝ている深い夜の底
だ〜れも来ない深い精神の根っこのその先に
眼を光らせているのだから。

夜のキビ畑。
聞こえて来るのは古いコトバで綴られる
島の祈りの歌。
月の船を呼ぶ祈りの声。

   いんぬかぬてぃすまゆ
   なみんくいとよむすらゆ
   てぃだぬあがるまでぃゆたさ
   ちゅらさてーくぬうどぅい

   ティンヌカナタ ニライヌカンヌウリ
   ヌチヌパナ
   サチヌパナヌサカショウリ
   ハリヨーフニ ハイヤユ
   ツクヌフニユ

君は、このシマのどれだけを分かったというのダイ?
聞こえてくる歌の意味くらいしか、本当はわかっていないはずだ。

フラのカヒコと呼ばれる「古典舞踊」では
「チャント」と呼ばれる祈りを捧げて踊るらしい。
フラの世界で、最も大事なことが「マナ」と呼ばれる「こころ」。

テレビで伝えられるハワイのイメージとは
全然違う、その「シマ」の引き締まった顔を見たときに
僕はドキッとしたんだ。

ちやほやされた「おきなわ」の浮かれた顔が
対照的で何とも厭になってきた。

沖縄は「癒しのシマ」ではない。
屋根のシーサーは「魔よけ」であって、
ピースしている場合ではない。

空しく叫んだその声が、
夜空にただ消えていった。

 「前略 南のシマジマ」

 海ぬ彼方てぃ島ゆ
 波ん声鳴響む空よ
 太陽ぬ上がるまでぃゆたさ
 美らさ太鼓ぬ踊い

 天ぬ彼方ニライぬ神ぬうり
 生命ぬ花
 幸ぬ花ぬ咲かしょうり
 走りよ船 早いやゆ
 月ぬ船よ

祈りの唱を詠う。
僕たちの「祈りの唱」を。
新しい「精神」を、「伝統」を、「祭り」をつくるんだ。
風に乗せて空に解き放つ!

南島詩人 平田大一




Posted by 平田大一(Hirata Daiichi) at 00:00
この記事へのコメント
はじめまして、祖母は与那国、母は黒島、在沖八重山人一世の、内間満(43才)といいます。
平田さんの「沖縄は癒しの島ではない」という発言を支持します。
青い空と綺麗な海のハッピーアイランド『沖縄現象』を大変危惧しています。
私は、しがないミュージシャンです。沖縄への想いと社会に対する、問題提起を唄にして、地道に活動しています。
率直に平田さんに、私の音楽を聞いて頂きたいのです。
私の魂を平田さんに、ぶつけてみたいのです。私のブログアドレスです。

http://uchimamitsuru.ti-da.net/

こちらから、オーナーへメッセージをクリックして、オフィスの連絡先を教えて頂ければ、私のCDを、郵送したいと思っています。
誠に勝手なお願いですが、よろしくお願いいたします。
Posted by 内間満 at 2008年01月12日 22:54