シマとの対話

──沖縄の過去と未来について考えるとき、僕はシマと対話する。シマとは、僕にとって老賢者のような存在──  南島詩人・演出家として活躍する平田大一。県内外を縦横無尽に走り抜け、骨太な活動を続ける日々の中で、思索の森を歩き、刻む、真実の言葉たち。  平田大一がつむぐコトノハと、KUWAこと桑村ヒロシの写真がつむぐ、「新・シマとの対話」。2015年4月15日より新連載スタート!(毎月1日と15日に更新予定)

2007年12月19日

第7話『疾走』(南島詩人・平田大一)

第7話『疾走』
きむたかホールという516席の文化施設の
館長をしていた頃のはなしだ。
毎日走っていた。
何時間でも走れた頃の話しだ。

総工費19億8000万の文化施設。
その館長を任されたとき、僕は「32歳」。
まだその道で何も大きなシゴトを「成し遂げた感」
が無かった僕が、その大きな肩書きに実は一番びびりまくっていた。

当然、任命権者の教育長は議会の矢面に立たされた。
某議員曰く「教育委員会の人事に関する質問!
どこの馬の骨とも判らない若僧にこの町の大事な館を
任せていいのか!」
すると詰め寄る議員に教育長は烈火のごとく怒った。
「彼のおかげで、あの子ども達がヤル気になったんだ。
君にそんなことできるか! 彼がこの町にとって必要だからお願いしたんだ。
お願いして来てもらっている彼のことを
もう二度と、そんな風に言わないでもらいたい!」

僕はその一部始終を議会議事堂の裏の部屋で聞いていた。
2001年6月28日、木曜日。
あの日のコト、あの感動を僕は忘れない。
そして人知れず、決意した。
何を? 何を決意したかは、憶えていない。
だけど、確かに「何かを決意した」という気持ちだけは覚えている。
つまり、僕は必死だった。


前略 南のシマジマ

「実績」でシゴトはやって来ない。
そこにあるのはいつも、自分に対する「期待」それだけだ。
それに答えようと必死でもがいた者だけが
運をひきつけるんじゃないかな…。

もしも、そうであるならば
次々とシゴトが来る人とは
常に「期待感」を持たせる天才だと言うことかもしれない。

きむたかホールという516席の文化施設の
館長をしていた頃のはなしだ。
毎日走っていた。
何時間でも走れた頃の話しだ。

そして僕は、今も走り続けている。
もがきながら、また新しい道を走っている。

南島詩人 平田大一




Posted by 平田大一(Hirata Daiichi) at 00:00