シマとの対話〜第Ⅱ章その23『北山の風』

平田大一(Hirata Daiichi)

2010年11月25日 09:00


今帰仁に吹く風は今日も心地よい。
那覇から遠いこの地に
何度、足を運んだはずだろう。

2010年10月16日。
軌跡の舞台が蘇った。
現代版組踊絵巻「北山の風〜今帰仁城風雲録」
原作「新城紀秀」 構成演出「平田大一」

終戦直後の昭和21年、今帰仁小学校の主席訓導(教頭)
であった新城紀秀氏によって指導され演じられた
「史劇 北山(脚本:新城紀秀)」は出演した当時の学生達の胸に
強い印象を残す取り組みとして刻まれた。

65年の歳月が流れ、
80歳近い教え子達が望んだことは、
90歳を越え未だご健勝であられる「新城紀秀先生」に
恩返しをすること。

つまりそれは、
あの懐かしき思い出の舞台「史劇 北山」を
再演することであった。

集まっては検討会を開くこと十数回、
気がつけば三年余りの歳月だけが
無常に過ぎてゆくばかり。
夢の実現に向けて奔走するも、
その方法も光明さえも見えてこない。
八方塞がりの中、何度も諦めかけた計画は、
お蔵入り寸前の間際に。

そしてこれが最後と出てきた案が
「あの阿麻和利の舞台で活躍されている、平田大一先生に
お願いしよう。きっと、何とかしてくれるはずだ…」
というものであった。

かくして、世代を超えた一大プロジェクトは、
一人の演出家の両腕に託されたのである。

この話しが持ち込まれたことを機に、
僕は短期間で多くの旧今帰仁小学校や
北山高校卒業の関係者と会い
今後の方向性を思考、あらゆる繋がりを総動員してきた。

そしてなんと、今帰仁村役場の協力も得られ
今回の事業が実現することにあいなったのである。

詰め掛けた1000人余りの群集の中
舞台の幕が開いた。
背後にそびえる今帰仁城の堂々とした風格に
負けじと演じる北部の子ども達。
当時の生徒達の前で演じる今の子ども達の演技に
惜しみない激励と感謝の拍手が鳴り響く。

終演後、招待席におられた
新城紀秀先生にマイクを振った。
島の言葉で朗々と当時の漢詩を謳いあげ、
場内拍手喝采であった。
こうして、奇跡の舞台上演は感動的のうちに幕となった。

さて。
本当の奇跡はその後にあった。

那覇市内の病院に、教育入院中の母から電話が入る。
聞けば、たまたま待合室で同席したおじいちゃんが
僕の事をしっていると言うのである。
名前を聞いて驚いた「新城紀秀先生」その人であった。

後で聞いた話では以前から気になっていた
腹部のポリープを摘出するためであったとか…。
「北山の風」上演後
まだまだ長生きしなくては〜と思ったのか
先延ばしにしていた手術を行っていたのである。
そのための入院、検査する際に
たまたま同席したのが八重山からこれもまた
偶然那覇の大きい病院を…と希望して入院していた
小浜島の我が家の母だったのである。

見舞いに行ったら母から
紀秀先生からの手紙を見させていただいた。

 「神仏のおみちびきによって
  平田大一先生の母上様とほんとに
  わずかの期間でありましたが親しく
  話し合いが出来ましたこと誇りに思い
  この上ないよろこびに存じます。
  その上『キムタカ』の貴重な本まで
  貸して下され 楽しく 夏目漱石先生の
  坊ちゃんを読むような気分でたのしい一週間を
  過ごすことが出来ました。
  平田大一先生は『北山の風』によって
  今帰仁の老幼男女に勇気と覇気を与える
  ものと信じます。
  信子母上様も早く退院され、桜の花の
  満開する頃 北山までおいで下され。
  大一さんの大活躍に大きな声援をねがいます。
              新城紀秀

  平田信子様」


一瞬の出会い、邂逅の奇跡。
人の縁の不思議を感じてしょうがない。
出会いの妙に感謝する日々なのだ。

新城紀秀先生、92歳。
まだまだご長寿であられて
この沖縄の行く末を考える上で
色々教わりたい僕なのである。

(南島詩人/平田大一)


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