シマとの対話

──沖縄の過去と未来について考えるとき、僕はシマと対話する。シマとは、僕にとって老賢者のような存在 ── 南島詩人・演出家として活躍する平田大一。県内外を縦横無尽に走り抜け、骨太な活動を続ける日々の中で、思索の森を歩き、刻む、真実の言葉たち。(毎週水曜日更新)

2008年03月12日

第19話『サトウキビの風に吹かれながら僕は哲学者になる』


自然と共生するということは、
ある意味「格闘!」すると
いうことであり「対等」であるということである。

北風厳しいこの季節、
サトウキビの畑に立つ島の人を
見つめながら僕は考える。

キビを「刈る」ということは、
サトウキビの命を「絶つ」ということだ。

絶たれて生きる、命もある。

否!
絶つからこそ、
活かさねばならない「命」なのかもしれない。

その「命」の尊さを考える。
僕らは「自然」と本当に対等に生きているのだろうか?
共に生きる!
という、その言葉の意味を考える。

そして、思う。
生きるとは「感謝」すると言うことだ。
感謝から始まるモノも、あるということだ。


「前略 南のシマジマ」
 
亡くなる直前まで、
畑に出かけた人だった。

やせ細った身体で、
畑に四つんばいになってでも、
畑に突っ伏して行った人だった。

「人間より賢い。
砂糖キビ、あれはお前らなんかより、ずっと賢い。」

畑で格闘した横顔。
それが、生前の親父の口癖だった。

この季節。

島に吹く北風に吹かれたい。
強い北風に吹かれながら、
心の中の燻ぶりも吹き飛ばせと、
息が出来ないくらいこの広大なキビ畑
疾走したい衝動に駆られる。

なあ、親父。
明日、一日だけ島に帰っていいかい?
今年の自分を占うのさ。
息切れしそうな自分の限界を
試す、旅にでたいんだ。

返事なき畑の上に一人
風の声に耳を澄まし独り。

「命の尊さ」について考えた。


南島詩人 平田大一


Posted by 平田大一(Hirata Daiichi) at 00:00│Comments(0)TrackBack(0)

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