シマとの対話

──沖縄の過去と未来について考えるとき、僕はシマと対話する。シマとは、僕にとって老賢者のような存在 ── 南島詩人・演出家として活躍する平田大一。県内外を縦横無尽に走り抜け、骨太な活動を続ける日々の中で、思索の森を歩き、刻む、真実の言葉たち。(毎週水曜日更新)

2008年03月26日

第21話『大願』(南島詩人・平田大一)

第21話『大願』(南島詩人 平田大一)
必死に祈るこの僕の
大願とは何だろう

この世に生をうけ
島に生きることを決意した
この僕の
生きる目的とは何だろう

ひたすら悩み
ひたすら迷い
巡り巡って暗闇を
独り歩いていた刹那!

僕は不思議な
感動に
ひとり
胸が奮えた

生まれる前からの
「約束」なんだよ

島で生きること
島の為に生きること
君に逢えたこと
別れていった人たちのこと

全てが
今!
そしてこれからの
全てが因となり道となる


前略 南のシマジマ
 
昔オバーが言っていた
あの言葉を思い出す

「ぴとぅや くぬゆー うんでぃくーばそー
 みりみらーぬ たんがそーに 
『ばぬん しずんぬ ありるゆー』
 てぃ はんじしてぃ うんでくーてー」

嬉しそうに話してオバーは
ひゃははは!
と笑ってサンピン茶飲んでいた。

難しくって
意味解らない言葉だったけど
オバーが死んだ後に
解ったときは、涙があふれた

「人は この世に 生まれ出るときに
 目に見えない 誰かに向かって
 『わたしは お願いが あります』
 と 話して 生まれてくるってさー」

 島で生きると決めたのは
 ほかでもない
 この僕だ

 新しき島人よ
 若き島人よ

 大切なことは
 「この島で生きる!」
 と自分で決めることなんだ

 「自分自身」で決めることなんだ。

 「始まりも終わりも自分で決める
  僕の歩くこの道に行き止まりはない。」

南島詩人 平田大一  

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2008年03月19日

第20話『失敗の自由』(南島詩人・平田大一)

第20話『失敗の自由』
そのまま!書く。
ノートの走り書きをそのままに。


大学を卒業後島に戻ります!
おそるおそる、報告した僕に恩師は言い放った。
   「平田君、アメリカではね、大企業を
    安易に選ぶのは三流の学生なんだ。」
人気のない学内、遠くでラグビー部のホイッスルが聞こえていた。

先生は続ける。
「かつて、140人の就職希望者の学生がいてね、
 40人はソニー、次に20人がホンダを挙げたんだ。
 アメリカの大学関係者の友人にこの話しをしたら彼は大笑いさ!
   『私の学生なら、ソニーやホンダの株主になってもいいと思うけど
    成績のいい学生ほど、アグレッシブな小さなベンチャー企業を選ぶ。
    いかに面白く、将来性のある仕事が出来るかが基準なんだ。
大企業に就職するのは、むしろ成績が悪い学生なんだ』ってさ。
いいかい、平田君。
君が一流の学生かどうかは今は僕はわからない。
だけど、君は島に戻るっていう!傑作だ!痛快だよ!
いいかい、忘れるなよ平田君。
一流の学生なら、自分で興すってことを。
僕が君を、遠くから見ていることを。」

誤解をおそれずに書く。
あの頃のままの書きなぐり、そのままに書く。
企業の名前が問題なのではない、「志の問題」なのだ。

失敗の許されないこの国で、
「失敗の自由」を説くのは難しいけれど、
僕たちは何度でも立ち上がれることを、
僕は何度でも立ち上がることを君たちと約束しよう。
力を持った個人の集まりこそが、
本当の群れとしてのパワーを持つことを!
どうか、君よ!
強く持ってほしい!


「前略 南のシマジマ」
 
 それぞれが、それぞれの道を
 歩いていくこの季節。

 それぞれが、それぞれの夢に
 辿りつけますように。
 
 先生はただ僕を励ましてあげたかっただけだ。
 
 仕事に一流も三流もありはしない。
 全てのシゴトに意味があるから。
 
 僕も君も大切な存在なんだ。

 南島詩人 平田大一
                      草々  

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2008年03月12日

第19話『サトウキビの風に吹かれながら僕は哲学者になる』


自然と共生するということは、
ある意味「格闘!」すると
いうことであり「対等」であるということである。

北風厳しいこの季節、
サトウキビの畑に立つ島の人を
見つめながら僕は考える。

キビを「刈る」ということは、
サトウキビの命を「絶つ」ということだ。

絶たれて生きる、命もある。

否!
絶つからこそ、
活かさねばならない「命」なのかもしれない。

その「命」の尊さを考える。
僕らは「自然」と本当に対等に生きているのだろうか?
共に生きる!
という、その言葉の意味を考える。

そして、思う。
生きるとは「感謝」すると言うことだ。
感謝から始まるモノも、あるということだ。


「前略 南のシマジマ」
 
亡くなる直前まで、
畑に出かけた人だった。

やせ細った身体で、
畑に四つんばいになってでも、
畑に突っ伏して行った人だった。

「人間より賢い。
砂糖キビ、あれはお前らなんかより、ずっと賢い。」

畑で格闘した横顔。
それが、生前の親父の口癖だった。

この季節。

島に吹く北風に吹かれたい。
強い北風に吹かれながら、
心の中の燻ぶりも吹き飛ばせと、
息が出来ないくらいこの広大なキビ畑
疾走したい衝動に駆られる。

なあ、親父。
明日、一日だけ島に帰っていいかい?
今年の自分を占うのさ。
息切れしそうな自分の限界を
試す、旅にでたいんだ。

返事なき畑の上に一人
風の声に耳を澄まし独り。

「命の尊さ」について考えた。


南島詩人 平田大一  

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2008年03月05日

第18話『島人北上』(南島詩人・平田大一)

第18話『島人北上』
3月4日が来ると思い出す。
那覇のマチに降り立った日のこと。

那覇空港から浦添に向かう国道58号線
夕暮れの寒い空に小雨がぱらつき
タクシーの車窓から見えたマチは
小さな島から上京してきた小さな家族を
静かに見下ろすかのように
ただひたすらに沈黙していた。

タクシーのカーラジオからは延々と流れる「かぎやで風」
「さんしんの日」を賑やかに祝っていた。
賑やかであればあるほど
気分が憂鬱になっていったのは何故だろう。

毎週1回水曜日2時間だけの舞台稽古、
その演出が唯一のシゴト。
月10万円の僅かな稼ぎがあの頃の僕の全てだった。

あの頃のノートには率直な想い。
「書きたいことなど何も無い。またペンをとる」
またある日は、書き殴る!
「何も進まない一日。風呂場で泣く」

全てが心細い日々、風呂場で何度も泣いた日々。
僕は本当に悩める30歳だった。

忘れてはいけない、あの頃の僕を。
感傷なんかではなく、ただの昔話でもない。
今の「僕」につながるために、必要だったあの頃の「僕」。
誰も僕を知らなくっても、「僕」が「僕」を知っていた。
それが全て。
それが、僕の全てだった。

「前略 南のシマジマ」

悩みを解決してくれるのは、
彼氏や彼女や親や旦那や奥さんでもない。
所詮、自分自身。

「始まりも終わりも自分で決める。僕が歩くこの道に行き止まりなし!」

力強く書いた文字に、
今の「僕」が激しく反応した。

2008年3月4日。
東京帰りの那覇空港から、
あの日と同じように北上する58号線。
気づいたら、丁度9年が経っていた。

相変わらずの「さんしんの日」。
あの日と同じような小雨の日。

詩人の心は、
今も「北」を目指す。
「上」を目指して、伸びてゆく!


南島詩人 平田大一  

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