シマとの対話

──沖縄の過去と未来について考えるとき、僕はシマと対話する。シマとは、僕にとって老賢者のような存在 ── 南島詩人・演出家として活躍する平田大一。県内外を縦横無尽に走り抜け、骨太な活動を続ける日々の中で、思索の森を歩き、刻む、真実の言葉たち。(毎週水曜日更新)

2008年02月27日

第17話『邂逅の流儀』(南島詩人・平田大一)

第17話『邂逅の流儀』
逢いたいと思っていた人の住む町に出かけ
後ほんの少し、その角を曲がれば
そこにいるかも知れないはずのこの道の途中で
僕は大きく深呼吸。

逢わずに帰ったんだ。

10代の頃からの憧れだった人は
脚本を書き、舞台を作り、演出をし、
受講料無料(ただ)の演劇塾をひらき、北の大地に根ざしていた
「倉本總」という、人。

北海道に移住して何十星霜、
「北の国から」
など、人情味あふれる物語を紡ぐ天才で
憧れていたんだ。

逢いたくて出かけた北海道、富良野の町。
2002年、雪の積もったこの季節だった。

タクシーの運転手が言う。
「あの角を曲がれば、もうそこはセンセイの家さ〜」

僕は、はやる心を抑えつつ、ふと考えた。
「創作する人ならば、こんな出会い方じゃ駄目なんじゃないか?
舞台を作る人ならば、舞台の上で出逢いたい!」
気がついたら運転手さんにストップ!
引き返して!と叫んでいたんだ。

佐渡ヶ島の鼓童や、
ソーラン節の伊藤多喜男さんには
きむたかホールの館長時代に来ていただいて
競演もさせていただいた。

公演前日の夜の歓迎会は手作りのもてなし
勝連の人たちの郷土料理に子ども達の必死の演技!

ゲストの方々は誰もが皆、感激の拍手を送り
子ども達とこのシマを愛してくれた

雅楽士の東儀秀樹さんとの競演は
記憶にまだ新しい昨年のことだ。


「前略 南のシマジマ」

出会い方が大切だ。
モノ作りの人なら、その「モノ」を通して
音づくりの人なら、その「音」を通して
舞台を作りあう僕たちなら、なお更!舞台を介して出逢いたい。

それが、モノをつくる僕の「邂逅の流儀」。

憧れる人と出逢うということは、
自分がそこまで「頑張った」何よりモノ証しなのだから。
対等に出逢えること、それが何よりも大事なことなのだから。
だから僕は、前進し続けなければならないんだ。

そして、今年。
僕は、新しい出逢いの予感に胸が高鳴る。

それにしても、「倉本センセイ」に逢えるのは、
いつになることだろう。

南島詩人 平田大一  

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2008年02月20日

第16話『熱と力』(南島詩人・平田大一)

第16話『熱と力』
今僕は、旅の空の下にいる。
韓国の舞台公演のためだ。

今回の舞台は日韓の文化の交流がテーマ
僕はそのイルボン(日本)チームの大きな責任を担う
「日本演者舞台総合演出」が
今回の僕のミッションだ。

全体を指揮する「黄(ファン)総合監督」との最初の会見は
もう寒い、2007年の9月だったか
韓国風の鰻屋でのことだった。

挨拶代わりのビール
そして意見交換のための韓国焼酎
とどめのもっと親しくなるための韓国風濁酒のマッコリ!

次から次へと出てくるキムチのオンパレード!
皿からキムチが無くなってくるとわかるや否や
「ヨギヨ!キムチ!ジュセヨ!」
監督が叫ぶより早く
新たなキムチがドカン!と
本当にドカン!と目の前に投げ出されるのだ…
ただ、ただ!目が点の僕だった。


「平田さん、韓国の料理は、頭で食べちゃ駄目よ!
 この!勢いで食べるよ!」
やたら饒舌な日本語でそういうと監督は
がははは!!と齢六十に近いその巨体を、大きく揺らした。

それにしても旅先で出会うアジアの友は
何故こうも迫力があるのだろう。

僕がまだ二十代の初めの頃
台湾に文化交流で出かけたときのことだ。
急遽、地元の台湾のある青年部との競演が決まった。
僕の踊りに合わせて「五獣拳」を舞うというのだ。

会場に着くと同時の「熱烈歓迎!」の横断幕に拍手。
聞けば、練習はしたものの上の幹部からは
「平田先生の演技の邪魔にならないこと!許可が出るまでは出演なし!」
とのおふれがあったらしい。
何だかみんなの目が異常に血走っていた。

時間が無いためのいきなりの通しリハーサル。
でも僕を乗せた神輿のようなものが危険で
演出そのものを変えねばならないとの思いがけない結論に
誰もがみんな無言でただ、涙を流していた。

その夜、僕は何だか眠れなかった。
彼らはこの準備にどれだけの時間を費やしたのだろう。
彼らのぎらぎら光る眼差しが無言の情熱が僕の心を衝き動かす。
そして、一晩考えた僕はある決断をする。

「僕は、みんなが作ってくれたあの神輿に乗ってみんなと競演したい!」
ほかでもない、僕自らが決めた結論に
運営側も従わずにはおれず突然の再度メンバー召集!
結局ぶっつけ本番の状態、でも起死回生の演目は熱い空気のまま
会場に響き渡る掛け声とともに、最高の演技を成し遂げたのだ。

僕は今でも彼らの「血走った眼差し」を覚えている。
あの若者達の「熱」と「力」が
アジアの国をここまで牽引してきたことも。

そして今!このシマにその二つが、最も欠けていることも。

「前略 南のシマジマ」
 
旅は色んなことを教えてくれる。
色んなコトを思い出せてくれる。

韓国の料理は真面目に考えながら食べてはいけない!
まずは、この目の前の辛いヤツからやっつけて
その勢いで舞台に上がるんだ!

僕は大きなキムチの葉っぱを何も考えず
丸ごと口に突っ込むと
「監督!美味いっす!」
と大きな口で叫んだ。


南島詩人 平田大一  

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2008年02月13日

第15話『桟橋の風景』(南島詩人・平田大一)

第15話『桟橋の風景』
別れの日。
見送りに来てくれたのは、
僕の身内の数人だった。
北風が強い島の桟橋。
空は、島の冬らしくどんよりと曇っていた。

やがて、離岸。

畑から直行ぎりぎり間に合った、
キビ刈の仲間たちが
桟橋に軽トラを乗りつけパラパラと降りてくる。

一人がとどかない声で何かを叫びながら、
「あっ!」という間に桟橋から海に飛び込むのが見えた。
すると、次々とみんなが海に飛び込む。
やがて、ぷかりと上げた顔で、ぶんぶん手を振ってくれた。

高速船の甲板から見える
親父の姿がどんどん小さな影になっていく。
もう小さな豆粒みたいになった見送りの中、
でも親父だけは最後まで手を振らないで
じっとこっちを見つめていた。

僕の唇から、自然と詩がこぼれ落ちる。


別れを惜しむ雨雲が
やがて二人を包むでしょう
水平線がくっきりと
空と海とを分けるでしょう

僕を乗せた小さなこの舟は
帰り舟か
それとも旅行く舟か
波しぶきが
二人の別れを煽ります。

高速船の大きなエンジン音に自分の声も聞こえない。
激しく噴き上げるジェットエンジンの大きな波の向こう側に、
僕のコトノハだけが、容赦なく吹っ飛んでいくのがみえた。
 
島はいつも変わらん
いつ帰ってきても変わらんさ
時流れても
このおじーが死んでも
島だけは島のまんま

いちまでぃん
いちまでぃん
島だけは
島のまんまさ

おじーは、泡盛もういっぱいぐいーっと
飲みほした。



あぁ、僕は本当に、島を出て行くんだな…
そう思ったら初めて涙が滲んだ。

一九九九年三月四日。
僕は八年間の小浜島での活動を終え、
活動拠点を沖縄本島に移した。


「前略 南のシマジマ」

あの時は、解らなかった。
残された者の悲しみが。
手を振る者の痛みが。
それぐらい、僕も必死だった。

寒い、島の冬の曇ったこんな空を見ると
思い出す。

あの日の桟橋に立っていた「島人」を。
飛び込んでくれた「仲間」を。

「へその緒を、自ら切り落とし、離岸せん」

島を出ると決めた、その選択に後悔は微塵も無い。
ただ!引き止めなかった「心意気」に感謝したい。


南島詩人 平田大一  

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2008年02月06日

第14話『源遠長流』(南島詩人・平田大一)


旅の空の下で島を想う。
素直な眼差しで、島を想う。
島が、僕の原点だ。

99年10月15日。
「人と人でつながらない仕事って何だろう」
大阪、高槻の湯船につかり
キムさんはポツリと呟いた。

世の中は「タイムカード」そして、
地位や役職でつながってゆく仕事ばかりが
仕事と思われているから、僕も大きく深呼吸
大きな湯船に肩までつかりゆっくり考えてみたんだ。

1日8時間が仕事、
「アフターファイブ」などという
概念は一体何だろう。

真夜中の風呂場に二人
キムさんと過ごす二人だけの打ち上げは、
本当に人の心が嬉しい「コンサート」だったねと
つい夜遅くまで語り合い「今」の自分を照らしては
ふと考えてみたんだ。

あの頃、島を飛び出してきていた僕は
帰るべき島がない
帰るべき家がない
ホントに!その淋しさに
心が凍えてしまいそうだったから

帰るべきところなき自分というものを
ゆっくり見つめてみたんだ。
色々考え込みすぎて、少し臆病になっていたのかもしれない。

あの頃、どうしようもなく霞んで見えた。
「演出家」というあてにならない道。
「力なき自分」という現実。

酒のせい、それとも風呂で上気したからか、
つい、語り過ぎた夜、黙って話しを聞いていたキムさんは、
優しく笑みを浮かべて僕にこう言った。
「今のままでいいよ、今の君のままで。
人と人でつながらない仕事って何だろう。
俺達は、幸せだよ。そう思わないかい?」
キムさんは、そう言って、また微笑んだ。

僕は、顔を洗うふりをして、そうして静かに涙を拭った。

僕がしたい仕事って何だろう。
人に胸を張って強き自分でいられる仕事って何だろう。

背中で娘に語れる生き方って
何だろう。

家族って何だろう。
生まれた島って何だろう。
根っこって、何だろう。

僕の中から声がする。
「挑み」を求めよ!と声がする。

家族と島と弱き自分に
今こそ向かい合えと声がする。

自分でしかできない生き方を
やりたいだけだ!
それを、やってみよう。
うん。
やってみよう。

「ヒラタダイイチ」というシゴトを。
それが、僕でしかできない仕事なんだ!

ザブン!
勢いよく、湯船に沈んだ。

「前略 南のシマジマ」

コンベンションセンター展示棟。
世界中から集まった「ウチナーンチュ」
5000人の前に僕はいた。
2006年10月15日。

40分という短いステージの出演の為に
集まった僕の仲間は14団体、約400人。
「ちばりよー!世界のウチナーンチュー!」
僕は力の限り叫んだ。
世界に届けとばかりに叫んだ。
あの夜。
あの大阪の夜から、丁度「7年目」の夜だった。

キムさん。
僕は、今でもあの夜のことを忘れていない。
キムさんの優しさを忘れてないよ。
あの夜が僕の流れの源なんだから。
「源遠長流(げんおんちょうりゅう)/源遠ければ、流れは長し」
僕の国ではそう言うんだって、キムさんに伝えたい。

そして、僕は今も旅の空の下にいる。
素直な眼差しで、島を想いながら、
島が僕の原点だと想いを馳せながら。

その島には、優しい太陽の風が
今日も吹いていると、僕は信じている。

南島詩人 平田大一  

Posted by 平田大一(Hirata Daiichi) at 00:05Comments(1)TrackBack(0)