シマとの対話

──沖縄の過去と未来について考えるとき、僕はシマと対話する。シマとは、僕にとって老賢者のような存在 ── 南島詩人・演出家として活躍する平田大一。県内外を縦横無尽に走り抜け、骨太な活動を続ける日々の中で、思索の森を歩き、刻む、真実の言葉たち。(毎週水曜日更新)

2008年01月30日

第13話『告白』(南島詩人・平田大一)

お母さんに
新しい彼氏が出来たと言う。

更に。
その彼氏には3人の子どもと
奥さんがいると言う。

更に!
その彼氏のためにお母さんは
300万円近い借金を
しているのだという。

デモネ…アタシ
ソレデモ、オ母サンガ、嫌イニナレナイノ…。

話しの間中、呼吸(いき)ができないんだ。
僕は、やっと、小さく、咳をした。

別離(わか)れて遠くに住む父親に
「大学の試験費用」のためにと言って
15万円振り込んでもらったの。

「それ」を、お母さんに渡した。

何故だろう、手が震えたんだ、何故だろう…。
気がついたら「平田さん」のいる稽古場に来ていた、と
一気に話してまた、小さくブルル、と震えた。
彼女は結局「大学」には行かなかった。

父親についたウソで傷ついた彼女の未来に
僕は優しく想いを馳せる。

大丈夫!
そんなウソくらい
神様は許してくれる。
ゼッタイ!約束する。
そんなウソくらいで、お前は不幸になんかならないよ。

乾いた唇でようやく僕は声をかけたけど、それが精一杯。
彼女のこれからを「祈る」しか僕にはできなかった。



話し終えた彼女は僕に振り向くと
「平田さん、でも、お母さんのこと、嫌いにならないでよ。」
そう言って後ろ手でバイバイ!
そしてもう二度と振り返ることはなかった。

僕は見えなくなった彼女のうしろ姿を見送るように、
いつまでも、ただ、そこに立ち尽くしていた。

2002年10月19日。
少し寒い夜の稽古場。
夜空の月だけが知っていればいい。
冬を告げる風の音が、僕の足元を早足で通り抜けていく。


「前略 南のシマジマ」

「大人」って何だ?
「大人」って誰だ?
「大人」って、
「おとな」って、いったい何ができるんだ?

無力な自分に眠れない夜がある
悔しくて泣いた、忘れられない、夜がある

あれから「6」年。
風の便りで彼女の近況が届く。
モウスグ「お母さん」ニ、ナルンダヨ!
風は僕に、そっと伝えて過ぎていった。

君の幸せを祈り続けている。
「平田さん」はこれからも、
君たちの幸せを祈り続けるコトしかできない。

ゴメンネ。
アリガトウ。
でも、ダイジョウブだよ。
きっと、君たちは「幸せ」になれる。

南島詩人 平田大一  

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2008年01月23日

第12話『檄文』(南島詩人・平田大一)

第12話『檄文』
告ぐ!

言葉は自由で強靭だ。
矛にも勝れば
盾にも勝ろう。

檄文で乱世を
おこすことができるのなら
詩歌で乱世を終わらせることも可能だ。

人の心から
乱世を終わらせるのだ。

それぞれが
天下人のように
音を生み出せ!

詩歌を吟ずる者よ
舞踊の者よ
道化の者よ
様々な才を持つあらゆる者よ

全人間に向かうが如く
壮大にその技芸を発するがよい。


人間の心の中から
天下を革(あらため)めてしまえばいいのだ。

人の心に巣食った乱世を払拭せよ!
人が忘れた歓喜を呼びおこせ!

それが私の信ずる
「文」で「化」する「力」なり。


「前略 南のシマジマ」

中国の「古き本」の「コトノハ」に胸が震える。
心に届く激しいまでの情熱に身体が衝き動かされる。
「文で化する力」でこの世を「革(あらた)める」。

シンプルで最速、そして直球!
このシマの未来に「檄」をとばせ!

南島詩人 平田大一  

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2008年01月16日

第11話『道標』(南島詩人・平田大一)

第11話『道標』
例えば
「平安座ハッタラー」
「笛吹きタップ」
「アンガマおじー」
僕が生み出した「お使い人」は本当にいるの?

舞台に出てくるあの世とこの世をつなぐ「お使い人」のことさ。
時空を軽々と越えては、主人公の子ども達とともに物語の核心にせまり
ストーリーテーラーであるところのあの者たちは本当に存在しているのか。

例えば
「シルベとカジ」
例えば
「キジとムナー」

物語につき物の「お使い人」は、とても非現実的だ。
現実の生活なら、「声が聞こえる」「霊が見える」「見えないものが見える」
って、とっても「変な奴!」って言われ、その存在さえも否定されるのに、
舞台や物語なら、普通に存在していたって不思議じゃない。
むしろ、必要な存在だったりする。

実際、僕自身「見えない何かに突き動かされて」
物語を紡ぐことが多いから、その「存在」は、否定しない。
でも僕には「霊感」はない。「声」も聞こえない。

きっと大切なことは「古の者たち」や「お使い人」達の
声なき声をしっかり「現実」というこの次元で
理解すること、理解しようとする「力」なんじゃないかな。

どんなに「声なき声」が聞こえてきても
「道なき道」が見えたとしても
それを見えない人たちには見えないし
聞こえない人には聞こえないのだから
誰にでも解るカタチで、「表現」というカタチで伝えるのが
僕等のシゴトなんだ。
僕が「舞台」を創るのはきっと、そういう意味があるのかも
知れない。

今、流行のようにいわれている
「スピリチュアル」なんていうものではなくて
もっと、この世を「タフに生きるため」の
「道標(みちしるべ)」として受け止めるべき僕のシゴト。



「前略 南のシマジマ」

ぼく、思うんだ。
大切なことは「この世」から「あの世」を見ること。
「あの世」から「この世」をみてしまってばかりでは、
間違いだらけで理不尽な「この世」の中にうんざりしてくるだろう。

でもね。
僕らは「現代(いま)」を生きている。
人間として「現実の生活」の中にいる。

肝高の子や物語の主人公達が「お使い人」からもらった
「想い」を胸に一歩前に進めたように
僕たちもまた、そういう「想い」をしっかり受け止められる
心を持ちたい。
そう思うんだ。

南島詩人 平田大一  

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2008年01月09日

第10話『詠唱』(南島詩人・平田大一)

第10話『詠唱』
この「島」のどれだけを分かったと言うのダイ?

癒しの島。
常夏の島。
歌と踊りの島「おきなわ」。
勝手に誰かがつけた呼び名に振り回されてはいないか「おきなわ」。

本当の「祭り」は
誰も知らない深い杜の奥
誰もが寝ている深い夜の底
だ〜れも来ない深い精神の根っこのその先に
眼を光らせているのだから。

夜のキビ畑。
聞こえて来るのは古いコトバで綴られる
島の祈りの歌。
月の船を呼ぶ祈りの声。

   いんぬかぬてぃすまゆ
   なみんくいとよむすらゆ
   てぃだぬあがるまでぃゆたさ
   ちゅらさてーくぬうどぅい

   ティンヌカナタ ニライヌカンヌウリ
   ヌチヌパナ
   サチヌパナヌサカショウリ
   ハリヨーフニ ハイヤユ
   ツクヌフニユ

君は、このシマのどれだけを分かったというのダイ?
聞こえてくる歌の意味くらいしか、本当はわかっていないはずだ。

フラのカヒコと呼ばれる「古典舞踊」では
「チャント」と呼ばれる祈りを捧げて踊るらしい。
フラの世界で、最も大事なことが「マナ」と呼ばれる「こころ」。

テレビで伝えられるハワイのイメージとは
全然違う、その「シマ」の引き締まった顔を見たときに
僕はドキッとしたんだ。

ちやほやされた「おきなわ」の浮かれた顔が
対照的で何とも厭になってきた。

沖縄は「癒しのシマ」ではない。
屋根のシーサーは「魔よけ」であって、
ピースしている場合ではない。

空しく叫んだその声が、
夜空にただ消えていった。

 「前略 南のシマジマ」

 海ぬ彼方てぃ島ゆ
 波ん声鳴響む空よ
 太陽ぬ上がるまでぃゆたさ
 美らさ太鼓ぬ踊い

 天ぬ彼方ニライぬ神ぬうり
 生命ぬ花
 幸ぬ花ぬ咲かしょうり
 走りよ船 早いやゆ
 月ぬ船よ

祈りの唱を詠う。
僕たちの「祈りの唱」を。
新しい「精神」を、「伝統」を、「祭り」をつくるんだ。
風に乗せて空に解き放つ!

南島詩人 平田大一  

Posted by 平田大一(Hirata Daiichi) at 00:00Comments(1)TrackBack(0)