2007年12月26日
第8話『咆哮』(南島詩人・平田大一)

月に吼える。
獅子、大地踏みしめて。
光る風に舞うが如く。
宙(そら)に向かって獅子
「時代」への咆哮を放て。
今の沖縄に、今のこの国に感じるんだ「危機感」。
「島人よ、近ごろお前は、その生き方が、小さくなっていないか?」
800校近い学校を公演して気がついた。
踊らない先生の多いこと! 威張る先生の多いこと!
恫喝が全てだと思い込んでいる先生の多いこと!
テレビの中。
司会のお笑い芸人に頭を叩かれニヤニヤ笑う「音楽家」達。
誰の為の歌か不在のまま「愛」を歌う「シゴト」。
来年には、忘れられていく「うた」を不本意に謳いあげる「シゴト」。
ドラマの舞台となった島がモテハヤサレル時代だ。
テレビに取り上げられた「モノ」に人が群がり
「モノ」の良し悪しに関係なく誰かの感覚に同調していく
安易な流れに人が群がる時代だ。
嗚呼!
現代(いま)と言う「時代」に疑問を感じず
胡座(あぐら)をかいて、座している「若きおきなわ」よ。
座したその基(した)にあるのは「古の島人たち」が、
先人達が築き上げてきた「魂の軌跡」!
我等はその上にただ、現世(いま)を生きているだけだ。
嗚呼!
古の島人のような「生命力」が欲しい!
自問自答の夜、繰り返される夜の、夜の底。
心の暗雲、眠れずに、明け方まだ暗い島の道。
強く吹く北風に向かって、ゆっくりと歩く。
西の空に大きな丸い月、その前を低い雲が駆け抜けて行く。
電線がひゅうッと鳴き、キビ畑にざらざらッと風が吹き抜け
僕の中の黒い雲を吹き飛ばし、蹴散らしていく。
僕にとって「文化」は癒しではない!
趣味ではない。余暇ではない。
心が奮えるが如くの「檄文」でその人の心を「変化」させる
まさに「文で化する力」なのだ。
情熱のマグマ滔々と流れる大河を渡る、
大いなる精神(こころ)の旅のド真ん中に立つ勢いそのままに!
独り月に吼える!
「前略 南のシマジマ」
この旅の終わりは、新しき道の始まり。
新たな終わりと、古きモノの始まりの瞬間(とき)。
島人よ!ダイナミックに生きよ。
もっと、もっと、雄々しく生きよ。
あの鷲の如く、海を渡る蝶の如く。
新たな夢の産声に吼えるあの獅子の如く!
南島詩人 平田大一
2007年12月19日
第7話『疾走』(南島詩人・平田大一)

きむたかホールという516席の文化施設の
館長をしていた頃のはなしだ。
毎日走っていた。
何時間でも走れた頃の話しだ。
総工費19億8000万の文化施設。
その館長を任されたとき、僕は「32歳」。
まだその道で何も大きなシゴトを「成し遂げた感」
が無かった僕が、その大きな肩書きに実は一番びびりまくっていた。
当然、任命権者の教育長は議会の矢面に立たされた。
某議員曰く「教育委員会の人事に関する質問!
どこの馬の骨とも判らない若僧にこの町の大事な館を
任せていいのか!」
すると詰め寄る議員に教育長は烈火のごとく怒った。
「彼のおかげで、あの子ども達がヤル気になったんだ。
君にそんなことできるか! 彼がこの町にとって必要だからお願いしたんだ。
お願いして来てもらっている彼のことを
もう二度と、そんな風に言わないでもらいたい!」
僕はその一部始終を議会議事堂の裏の部屋で聞いていた。
2001年6月28日、木曜日。
あの日のコト、あの感動を僕は忘れない。
そして人知れず、決意した。
何を? 何を決意したかは、憶えていない。
だけど、確かに「何かを決意した」という気持ちだけは覚えている。
つまり、僕は必死だった。
前略 南のシマジマ
「実績」でシゴトはやって来ない。
そこにあるのはいつも、自分に対する「期待」それだけだ。
それに答えようと必死でもがいた者だけが
運をひきつけるんじゃないかな…。
もしも、そうであるならば
次々とシゴトが来る人とは
常に「期待感」を持たせる天才だと言うことかもしれない。
きむたかホールという516席の文化施設の
館長をしていた頃のはなしだ。
毎日走っていた。
何時間でも走れた頃の話しだ。
そして僕は、今も走り続けている。
もがきながら、また新しい道を走っている。
南島詩人 平田大一
2007年12月12日
第6話『大榕樹』(南島詩人・平田大一)

隆々とした、うねりにも似た太い根っこのその前で
僕はただ立ちつくし、耳をすます。
心に響く、島の声に耳をすます。
月の満ち欠け、潮の干満、気圧の高低。
喜びも悲しみも聲にのせて詠い語り続けてきた島人よ。
島の聲が聞こえなくなってしまったらもうお終いさ。
海にある潮の道。
見りみらーぬカンプトゥキ(眼に見えない神仏)
見りみらーぬニッパルヌウタ(眼に見えない根っこの詩)
ひッひッひッ。あがや〜。
大榕樹(がじまる)は、命の塊だ。
島に、岩に、土にガッチリとその根を張り
まるで誰の助けも借りずにこの島に仁王立つ
偉大なる父の木だ。
島人よ。
何故他人を真似る。
どうして誰かのコトバで語る。
お前にとって島人であるということが、
誰の足も踏まずにそこに辿り着けるものであると
いうことを知らねばならん。
島人よ。
「ニライカナイ」とは「ニロースク」。
それは「根の底の国」という意味だ。
海の向こうにあると夢見た楽園が、
本当はこの根の底のもっと奥深いところにこそあると
いうことを知らねばならん。
島のコトバで「がんつぷるにー」と呼ばれる
その大木の名の由来は
「岩(がん)の頭(ちぷる)に根(にー)を張る木」
ということらしいと島の長老が教えてくれた。
「前略 南のシマジマ
島に生まれたことを
「鎖」と思うか「根っこ」と思うか。
その一念の違いが、全ての始まり。
南島詩人 平田大一
2007年12月04日
第5話『南島の哲人』(南島詩人・平田大一)

「障子の穴の法則って、知ってるかい?」
アグニ島の古い知人は酔った顔で
突然、僕に聞いてきた。
真っ赤に日焼けした顔は、酒のせいか。
それとも昼間の漁の賜物か。
ギラギラした目の光は、だけど異常なくらいに眩しい。
まるで「島の哲人」だ。
酔っ払った「哲人」の言う、かの法則とは、
「障子の穴の外から内(なか)はよく見えないが、
内側の穴から覗き見ると障子の外の世界はよく見える」
というもの。曰く
「この島からは、この国のカタチ、この世界の矛盾がよく見える」
と言うことなのだ。
小さな島の深い夜。
表の福木がざわわ、と揺れる。
遠くから梟(ふくろう)、すぐそばで波の声がした。
島で聞く「哲人」のコトノハは、実に力がある。
ようく見ると、顔に刻まれたシワもただのシワではなく、
深い憂いを醸し出すのに一役かっているような、
そんな演技をしているような気がしてくる。
「この島ではよう、誰もがみんな哲学者なんだよう。」
そう話してくれたのは、島を案内されたときのことだった。
夕暮れの島の高台で空を仰ぎ「ひぃ〜〜うんン」
と鳴く牛の姿を遠く眺めながら、名も無き「哲人」はそう言った。
静かに、そう言った。
わからないことがあるとき、
僕は、そっと、自分の中の「障子の穴」から外を見る。
すると、全ての答えが「そこ」から見える。
思索の迷路、悩みの闇に光りが灯る。
「前略 南のシマジマ
入り口は『島』、気がつけば『宇宙』。
島の奥深い奥の方、
島宇宙の中の自分を遠く眺めながら、決意する
我もまた、南島の哲人たらん!と。」
南島詩人 平田大一




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